見覚えのない部屋――と言うよりは、物置の片隅を無理矢理空けて使用している、と言った方が正確な、埃っぽい空間で窓はない。
足元に置かれた小さなランタンだけが唯一の光源で、それも最小限に絞られている。
――ここは李家の……?
その時ふと、何かが自分にしがみついていることに気がついて、閃光はそっとシーツを捲り、傍らの膨らみの正体を確かめようとしてぎょっとフリーズした。
「な……ん、っ」
何としっかと己に腕を回してすーすーと寝息をこぼしていたのは、ミツキだったのだ。それはまだいい。それはまだいいにしても、一体全体彼女はどうして下着姿などと言うあられもない格好をしているのか。
――待て待て落ち着け……意識朦朧として手ェ出しちまったのか? ちょっ、待て、俺も服着てねえし……何も……してない、よな?
辛うじて下着だけは身に着けていたものの、あちこち包帯を巻かれているのはライラの手を煩わせたせいだ。こぼれかけたロケットを慌てて、けれど丁寧に受け止めて、安堵の息を吐く。
自分では他人前で絶対に外さないはずの、サングラスも黒革手袋もない。恐らくミツキが外したのだろう。他意はないのだろうが、ないと落ち着かないし決まりが悪い。探すために起き上がろうとして、身体中に激痛が走った。
「…………っ、ぐ…………」
「閃光……?」
寝惚けた調子で目を開いたミツキが、状況を把握出来なかったのか、数度ぱちくりと瞬きをする。そこではたと記憶が甦ったのか、彼女は慌てたようにがばりと起き上がった。
「駄目よ、まだちゃんと寝てなきゃ!! いくら貴方でも傷塞がってないはずよ!? また出血したらどうすんのよ、今度こそ死んじゃうわよ!? せっかくライラさんが手当してくれたのに!」
「あー、えっと……」
「待って、言いたいことは大体解ってるから、いろいろ勝手にしちゃってごめんね!? 血出し過ぎて体温保てなくなってたみたいで、閃光ガクブルしてたんだけど着せられるものが何もなくて、私の人肌でもないよりマシかなーって思って、ほら、雪山の遭難とかでも一番いいって言うじゃない!? えっと、あの、貴方が嫌がりそうなとこは触ってないから大丈夫よ、多分!!」
わたわたと口数が多いのは、喋っている内に混乱と緊張を引き起こしたからなのだろう。ミツキが完全にパニクった真っ赤な顔で捲し立てる様を見て、逆に冷静な思考が戻って来た閃光は、小さく苦笑をこぼした。
「……それ、普通逆だろ。俺がお前に言う台詞だろ」
「…………いや、そうかもしれないけど」
目を逸らしたかと思うと、唐突にその蒼い双眸からぼろぼろと大粒の涙が溢れ出す。
「だって全然意識戻らないしぴくりとも動かないし、さすがに今回は閃光死んじゃうんじゃないかって……」
「お前……泣き顔本当に不っ細工だな」
「うるさいわね、放っといてよ!」
こんなやり取りをしたい訳ではないはずなのに、それでもいつも通りの悪態を吐けるくらいまでには回復したのだと安堵して、拭っても拭っても溢れて来る涙は止まりそうにない。ぐっちゃぐちゃになった顔が酷い有り様だろうことは鏡で確かめるまでもなかったが、今は全身を覆っていた不安が消え去った虚脱で動けそうになかった。
洟を啜っての本気泣きに、ミツキがどれほど自分を案じてくれていたかが痛いほど解るから、閃光とて茶化してごまかすだけでは駄目だと言うことくらい百も承知だ。
「…………悪い、心配かけた」
がしがしと後ろ頭を掻いてから、どう言ったものかと言葉を探す。
いつもなら誰とだって何とだって適度な距離を保っていられるのに、こちらが築いた壁など容赦なく壊して踏み込んで来るミツキが相手だと、どうにも感覚が狂うのだ。
けれど、何故かそれが嫌ではないから困っている。
――大事なものはもう持たねえって、あの時決めたじゃねえか……
それでも、いつだって快活で元気一杯な笑みの絶えないミツキが泣いている姿は、思ったよりも堪えて、ずしりと心に重たい何かを降り積もらせる。
「なあ、もう泣くなよ」
シーツの上に被せられていたミツキのシャツを取ってその肩に羽織らせると、閃光はそのまま彼女の小さな身体をそっと抱き締めた。甘い――自分をこちら側に引き留めてくれた匂いが再び鼻先を擽る。
「…………!」
「お前に……んな顔させたい訳じゃねえんだ」
「閃光……」
少し躊躇するような間があってから、溢れる涙を拭うように目元へそっとキスが落とされた。続いてもう片方にも――次いで、口唇にも。
「ん…………ぅ、っ」
それは先日、ミツキが勢いでしかけた触れるだけの児戯に等しい口づけとは違うものだ。柔く牙を立てられて食まれ、奥底に隠していたはずの己を暴かれ浚われる。
苦い煙草の味。
知らない熱と込み上げて来る快感に、怯えるようにびくりと腕の中のミツキが身体を震わせたことで、はっと我に返った閃光は、慌てて彼女を解放した。
「ぁ……」
「閃光……何、で……」
「すまん……ちょっと顔、洗って来る」
らしくもなくバタバタと騒いで服を纏いながら部屋を出て行くその横顔が、心なしか真っ赤になっているように見えたのは、多分ミツキの気のせいではないのだろう。
ぎゅっとシャツを掴んで閃光の消えた扉を見遣ったミツキは、戸惑いと初めて覚えた何かに胸が潰れそうなほどの息苦しさを感じていた。
* * *