この光景をとある詩人は、深海に宝石箱の中身をばら撒いたようだと表現したらしい。
     確かに夜闇の中に散りばめられた色とりどりのネオンの明かりは、目映い美しさで人々を魅了し、その視線を惹きつけてやまないものだ。一時は百万ドルとも言われたその光景を優雅に味わえるのは、許された一握りの人間だけである。
     遊覧飛行船『鯨鵬(げいほう)』――贅の限りを尽くしたこの展示会場から、その選ばれた権利を行使して、大きく切り取られた窓から眼下の光景を眺めながらも、
    ――うぅ……本当にこんな格好で良かったのかしら? 私おかしくない? 浮いてない?
     落ち着かない気分でシャンパングラスを片手に壁際に立つミツキは、逃げ出したい衝動を懸命に抑えながら、会場に視線を走らせた。
     警備に就く以上はパーティーの雰囲気を壊さないようドレスコードを守れ、と依頼主である李伯龍(り はくりゅう)からキツく命じられたものの、普段セレブな生活には縁のない身からすれば、例え社交界や政治的な面々の集まるような場ではないとは言え、やるせないような身の置き場に困るような空気を感じてならない。
     同じく文保局中国支部の人間も、それなりの格好をして潜り込んでいるものの、明らかに何だかこれじゃない感を醸し出して悪目立ちしている。いかにも急繕いな有り様はミツキが解るくらいなのだから、傍から見ればもっと駄目な感じになっているのだろう。
     軽やかに流れるクラシックだか何だかが華やかな雰囲気を増長して、余計に緊張するせいもあるのだが、時折擦れ違う黒服の男たちは目つきが鋭過ぎるのが気になった。
     李家に纏わる黒い噂は、なまじっか根も葉もないものではないのかもしれない。
     いつものスーツでないのは心許なかったし、帝国四大財閥筆頭の主催と言うだけあってチャイナドレスを纏っている女性が多い中、ミツキは露出の少ないふわりとしたラインのブルーのドレスである。あんなにぴっちりした服はいざと言う時動きにくいし、何より麻酔銃の隠し場所がない。決して小さいとか小さいとか小さいとか言うのが理由ではない、念のため。
     髪も珍しくアップにしたし、いつも気にしないメイクだってしっかりやった。ただそれが、いかにも何だか自分とちぐはぐな気がしてならないのである。
     この警備の中でも意気揚々と乗り込んで来るであろうバレットの目に留まれば、きっと鼻で嗤われて馬鹿にされるのだろうと思うと、一体何のために頑張っているのだろうかと徒労感に襲われなくもない。
    「馬子にも衣装たぁ、昔の人間は上手いこと言うもんだ。なあ、お前もそう思わないか?」
    ――そうそう、こんな風に悪態ついて……本っ当デリカシーがないって言うか、女心が解ってないって言うか……え?
     不意に聞き慣れた(そうだ、不覚にもはっきり個別認識出来るまでの)声に鼓膜を刺激され、ミツキは自然下がっていた視線を弾かれたように上げた。
     目の前には一目見れば値が張ると解る上等なタキシードを纏った青年が――怪盗バレットこと天狼閃光がショットグラスを片手に佇んでいる。TPOを弁えてか、変装の一環であるのか、いつもはサングラスのはずがノーフレームの眼鏡をかけており、普段の研ぎ澄まされた印象がかなり和らいで別人のように見えた。
     それは恐らく露になった切れ長の双眸が元の鮮血を滴らせたような真紅ではなく、カラーコンタクトのせいで漆黒だったこともあるのだろう。
    「バ……」
    「静かにしろよ」
     まるで恋人にするようにミツキの口唇へ人差し指を立てて言葉を封じてから、閃光はあくまでも外向きの爽やかで人当たりの良さそうな笑みを浮かべたまま、周囲に日本語を理解する者がいないと解っているからか、容赦のない毒舌をぶちまけた。
    「何だってこんなところにいやがるんだ? 今度は中国くんだりまでレポート提出しにでも来たのかよ? だったら会場は遥か下だぜ、お嬢ちゃん」


    →続く