宙へ視線を走らせ、マナの気配を探りながら閃光が問う。どれだけ消耗したものか、その呼吸はぜえぜえと荒い。
     今まで自分が必死に押さえ込もうとしていたものが、嘘のように治まったことが俄には信じられないのだろう。懐疑的な口調だ。
    「〈魔法術〉を消すための〈魔法術〉じゃよ。昔使っていたものが役に立ったの」
    「〈魔法術〉……? 何だそりゃあ」
    「お前さんの中に眠っとる『獣』の正体。ほぼ間違いなく〈魔法術〉じゃ。もしかすると、どうにかしようはあるかもしれん」
    「あ、おいジジイ!!」
     言いながら、どっと倒れる誠十郎を受け止める。見れば、その皮膚の表面はあちこちが焼け爛れ、甚大なダメージを被っているではないか。
    「しっかりしろ、おい! くそ……っ! 誰か……」
     辺りを見回したところで、道のど真ん中に手を貸してくれる者などいるはずもない。ばくんばくん、と焦燥から忙しなくなる鼓動を懸命に抑えて、閃光は自分より大きな誠十郎へ肩を貸し持ち上げた。ぐったりと完全に意識を失って脱力した成人男性の体躯はずしりと重く、本当なら運べたものではなかっただろう。己の呪われた能力を、閃光はこの時初めて感謝した。
    「クリフ!! クリフ!! 来てくれ!!」
     屋敷の扉を蹴り開けて、肺活量の限りに叫ぶ。
     聞き覚えのないこちらの声を、一瞬不審に思っただろう。けれど有能な執事はそこに滲む緊張と焦燥を感じ取ったのか、慌てて駆けつけてくれた。全身に酷い火傷を負った主人と、傍らの閃光を見てぎょっとし、
    「旦那様! これは一体……」
    「俺の……せいだ。俺が、」
    「とにかく医者を呼びます」
     辺りに火の気がないことを確認し、即座に踵を返した背中を見送って、閃光は横たわる誠十郎を見遣った。
    ーーまた、だ……
     大切にしたい人を傷つけた。
     いつもそうだ。黒い獣は閃光が気を許そうとした相手を無茶苦茶に傷つけて、その信頼を関係を破綻させる。
    『お前には無理だ』
     舌なめずりをする嗄れ声が、耳元で嘲笑うように閃光を闇に引きずり込もうとする。あるいは、絶望の淵に突き落とさんと。
    『ヒトじゃねえ奴が人間ごっこしようなんざ、土台無理な話なんだよ』
    「俺はヒトだ、人間だ!!」
    『いいや、違うね。ヒトは火なんか出さない。そんな馬鹿力も持ってない。五感だって鋭くない。お前は人間じゃない。化物だ』
    「違う、俺は……」
    『お前といると、みんな不幸になる。当然だろ、怖いからな。みんなと違うお前は気味が悪い。まほろだってそうだ。可哀想にお前のせいで死んだ。お前が殺したんだ。お前さえいなきゃ、まほろは死ななかった』
    「違う! 違う、殺してない!! 俺はまほろを助けたかったんだ……ただ、それだけなんだ!!」
     誰もいない空間に、悲痛な声が絶叫する。それはまるで、意識のない誠十郎に懺悔しているかのようであった。
    『そうやってこのクソジジイも手にかけるんだろう? ムカつくもんな、馴れ馴れしくて訳知り顔で踏み込んで来やがって』
    ーーああ……
     一体、誰に助けてくれと乞えばよかったのだろう。手を伸ばして縋ればよかったのだろう。神だか仏だかからも見放されたこの身で。
     やにわに、外が騒がしくなる。
     いつもの医者が駆けつけてくれたのだろう。だが今回は事情が事情だけに他に引き連れて来たものか、白衣を纏った知らない男が数名バタバタやって来たかと思うと、身を縮こまらせている閃光には目もくれず、瞬く間に誠十郎をストレッチャーに乗せて運び去った。
     個人邸宅でどうこう出来るような処置ではないからだろう。
    「………………」
     どうするべきかなんて、答えは最初から決まっている。
     あの日ーーまほろを失った時に覚悟したはずだ。
     自分は誰かと共に生きてなどいけない。傍にいたいなどと思ってはならない。
     ここには長居をし過ぎた。余りにも居心地がよかったものだから、ずっといてもいいものだと錯覚してしまった。
     恩を仇で返すような真似をしたのが、申し訳なかった。ただ、誠十郎にまで侮蔑と嫌悪の目を向けられるのに堪えられなかった。
     いつものスケッチブックを取り出す。さようならを告げるには遅すぎたけれど。


    →続く