「やっぱりやめましょうよ……せっかくの駒をボロボロにしたら……」
    「うるせえな! いいか、こう言うのを従わせたい時はな、ヤク漬けにしちまうのが一番手っ取り早いんだよ。その内クスリ欲しさに、ほいほい邪魔者始末してくれるようになる。使えなくなったら、処分しちまえば問題ない。どうせ、上だってド派手な鉄砲玉以上には考えちゃいねえさ。よそに奪われるより有効だ」
     銀色のケースに収まっていた注射器を手に取り、金城は中の液体を吸い上げる。示し合わせたように部下たちは数人がかりで閃光を押さえつけ、身動き出来ないようにがっちりと固定した。
    「やめろ……っ、離せ!!」
    「じゃあ、俺の言うことを訊くか?」
    「冗談じゃねえ!!」
    「だったら、俺の答えも一つだけだ」
     必死にもがくものの、さすがにこれだけのダメージを受けた状態で完全に背中をつけて押さえ込まれては、閃光とて抵抗出来ない。
    『殺せ』
     脳内に響く嗄れた声。
     愉悦に満ちた悪意滴るその声を、閃光はよく知っている。物心ついた頃にはもう己の中に巣食い、事あるごとに甘言を囁いて、力を解放させようとする黒い獣の声だ。
    『今さら一人二人殺したところで何だ? お前の手はとっくの昔に血で汚れてるだろうが』
     自由に。
     本能に身を委ねよ、と。
     それが生物として『正しい』のだと、獣は舌舐めずりをしながら嗤った。
    『お前は……俺は強い。強い奴が欲しいものを手にするのは当然だ。我慢する必要なんかあるもんか』
     ぬらりと伸びて来た手が、閃光の意識を抱き込み侵食する。じわじわと紙面に垂らした墨が広がるように、価値観を理性を引っくり返そうとする。
    『奪え。壊せ。喰い尽くせ! そうする権利が力がお前にはある。こんなクズ共にいいようにされて、またあの時の二の舞を踏む気か?』
     力を振るうことを躊躇したからまほろは死んだのだと、暴虐の化身は閃光を唆す。己を押さえつけ、従わせんとする全てを返り討ちにしろと、嘯き主導権を奪おうとする。
     この前は閃光を責めたくせに、今日は擁護する。自分に都合のいいように手を変え品を変え、こちらが頷くのを待っているのだ。
    ーー駄目だ……耳を貸すな……
     獣に分別などない。
     目につく何もかもを破壊し蹂躙する。
     まほろを手にかけたのは、『力を振るってしまった』からだ。間違えてはならない。現に誠十郎も傷つけた。例え、ここで牙を剥かねば彼らの手から逃れられないのだとしても、
    『私の大好きな優しい閃光でいて』
    『お前さんはちゃんと、ヒトじゃよ』
     獣に身をやつしても生きるべきか、
     潔くヒトとして死ぬべきか、
    ーー俺は……
     ちり、と大気が燃え、爆ぜる。
     誠十郎からはめてもらった反〈魔法術〉のリングは音を立てて砕け散った。
     何もないはずの空間から生まれた炎が牙を剥く。ぐおあっ、と踊る紅蓮が周囲の空気をマナを巻き込んで、端から色を目の覚めるような蒼に塗り替えて行く。
     丸腰のはずの閃光が放った獄炎に、男たちは悲鳴を上げて飛びすさった。威嚇のために最低限に抑えた〈力〉は、誰も傷つけてはいない。
     脳が焼けそうだ。
     意識が明滅する。
     駄目だ。奴に主導権を渡すな。溢れそうになる憎悪と怒りを懸命に押し殺す。
     が、その意思に反してざわざわと細胞が逆立つ。己が違う何かに変貌して行く気配を感じた。覚えている。あの日、あの時、ただまほろを守りたかっただけなのに、憎しみに駆られたばかりに獣に飲まれた。
     めりめりと音を立てて閃光の両手はその形状をヒトから逸脱し、黒い剛毛に覆われ硬化した爪が鋭く伸びる。犬歯が肥大して牙になり、頭頂部に三角の耳が顕現する。
     出来の悪いスプラッター映画のようなえげつない変貌に、ヒトをヒトとも思わず数多の修羅場をくぐって来たであろう金城も、流石に背筋が凍るような怖気を覚えたのだろう。辛うじて一人だけ閃光を押さえ込んでいたものの、まるでその恐怖を叩き壊さんばかりに、悲鳴じみた雄叫びと共に注射器を振りかぶった。
    「…………俺ハ、」
     生きて、と願ってくれた人がいたから。
    ーーこんなところで死んで堪るか……!!
     例え共に歩むことは出来なくても、傍で過ごすことは叶わなくても、同じ時を生きるくらい願うことは許されるはずだ。
    「俺はお前らとは違う!! 誰かを傷つけて生きるなんてことは絶対しねえ!!」


    →続く