数日後、閃光の傷が癒えた頃合いを見計らって、誠十郎は口を開いた。
     引っ張り出して来た古い手帳には、あまり写真を残さないように配慮している彼には珍しく、若かりし頃の姿が写っている。その隣には精悍な面立ちの日本人青年。二人は同じ年頃だろうか。快活な笑みを浮かべる誠十郎と、口唇を真一文字に引き結んだ彼は、まるで正反対だった。
    「わしの古い友人に、お前さんと同じ症状を持つ男がおってな」
    「…………こいつが?」
    「そう、名を天狼倭(てんろう やまと)。恐らくお前さんの血族じゃと思うが、聞き覚えは?」
    「…………知らねえ。確かに同じ苗字だけど、俺は産まれて間もなく、獣憑きだってことが解って、実の父親に殺されかけた。それからずっと、蔵を改造した座敷牢の中だ。母親すら顔も見たことねえよ」
    「…………そうか。その獣憑きかどうかってのは、どうすれば解るんじゃ?」
    「目」
     逸らすように伏せられる、視線。
     閃光が己の双眸を嫌う理由を、ようやく真に理解出来た気がした。人々に恐れられ、畏怖されるからだけではない。物心つく前の幼い頃から、そうして繰り返し繰り返し言われ続けたのだろう。
    『お前は化物だ』
    「もし俺が化物になっちまったら、お前が俺を殺してくれ」
     左片方の瞳だけが赤味を帯びていた倭も、誠十郎に何度なくそう言ったものだ。
    「こいつ……年齢的に俺の祖父さんか?」
    「いや……彼は己の呪いが子供に受け継がれるのを恐れて、生涯独身を貫いた。女性と関係したこともない、と苦笑いしていたよ。恐らくお前さんの祖父は彼の兄じゃろう」
    「ふーん……」
     あまり他人には興味を持たない閃光ではあるが、何か感じるものがあったのか、じっと写真の中の倭を見つめている。
    「それにしても、古い友人って……いつの頃の話だよ。ジジイ、アメリヤ人だったろう? まさかもうこの時帰化してたのか? それとも、国籍や血はあっちでも日本で生まれ育った、とか?」
    「残念ながらどっちもハズレじゃ。わしと奴は戦時中同胞じゃった」
    「日本とアメリヤは敵対関係にあったのにか」
    「ほ、よう知っとるの」
    「この前読んだ本に書いてあったんだよ」
     思わず目を丸くすると、噛みつくような視線が返される。語気荒く投げられた答えを、まあまあと宥めながら、成程少年にとって世界を知らないと言うことはコンプレックスであるらしい、と理解した。
    「わしらは、それぞれの国の機関に属しておった訳ではない。国境を越え、人種も年齢も越え、〈大戦〉を終結させて、人類滅亡を何とか防がんと言う志の下に結成された秘密組織ーー〈パライソ〉その諜報部時代の同僚じゃよ。実はクリフもブラッドも、部署こそ違えど苦楽を共にした仲間じゃ」
    「…………諜報部」
     もし、彼も同じように獣化の呪いをその身に受けていたのだとしたら、正しい力の使い方だ、と閃光は思う。ヒトには出来ないことが出来る、のならば、恐れずにその力を他人のために駆使するべきなのだろう。
     自分にはろくでもない誘いしかかからなかったが。
    「それで……こいつ、どうしたんだ?」
    「死んだよ」
    「戦争で? それとも仕事失敗(しく)って?」
    「いや」
     誠十郎は煙草を一本くわえて火をつけると、ゆっくりと吸いつけてから細く紫煙を吐き出した。
    「わしが殺した。脳天ぶち抜いて」
    「…………」
    「びっくりしたかの」
    「あんたでも、人を殺せるんだなってことに」
     閃光の言葉に、誠十郎は小さく笑った。
     彼はこの世で一番己の存在がおぞましく、穢らわしいものだとでも思っているのだろう。そんなものなど比べものにならないことが、彼の知らない領域にはあると言うのに。


    →続く