「わしらの世代は多くの人間が、そうして両手を血で汚した。互いに恨みがあるでもない、憎い訳でもないのに、罪なき人の命を奪った。そう言う意味ではわしらこそ化物じゃよ」
    「正義のため、じゃねえの」
    「絶対的な正義だなんてものは、それこそ絶対存在せんよ。そんな狂気に最前線で触れていたからかの……奴は壊れた」
     優秀な頭脳と健全な肉体は元より、頑強な意思と冷徹な思考、平和を願う熱い心を買われて集められたはずの人員は、その多くが病み、精神に異常を来すか、どうしようもない致命傷を追って次々と前線から脱落した。世界を変えることは世の中の大きく激しいうねりを変えることは、どんなに人材を揃えても容易ではなかったのである。
     故に凄絶な任務をこなす度に、倭の柔らかな部分に亀裂が入る気配を、誠十郎もどことなく感じ取っていた。何度か離脱も奨めたが、彼は頷かなかった。そうして優しい男がその毒に侵され蝕まれ、平静を保てなくなるまで、そう時間はかからなかったのである。
     とある作戦で待機中、彼は拠点で獣化し暴走した。目につく人間を片っ端から八つ裂きにし、噛みちぎり、焼き払い、生ける災厄として蹂躙したのだ。犠牲になった者の殆どは、何が起きたかすら把握しないまま事切れたことだろう。
     仲間をあるいは何の関係もない人間を、呪われた本能に命じられるまま殺戮し、己の発した〈魔法術〉の蒼い炎に焼かれながら、倭は泣いていた。涙など流さぬはずの獣の姿になりながら、懺悔するように赦しを乞うように、一人泣いていたのだ。
    ーー殺してくれ……誰か、俺を……
     その言葉にはならない声を、嘆きの叫びを受けて、誠十郎は己も酷い傷を負って意識朦朧とする中で銃を手に取った。
     当時愛用していたのは、バレットM82。
     彼の代名詞であり呼び名であり、敵方に取っては死の象徴であった名だ。
     距離は照準を定めるべくもないほど近い。
    『もし俺が化物になっちまったら、お前が俺を殺してくれ』
    ーー約束を果たそう……許せ、倭……
     コンクリート壁の向こう側に潜む相手を、もろとも粉砕するほどの破壊力を誇る最強兵器の一撃を間近で受けて、倭は無惨な最期を遂げた。冷たい弾丸に射抜かれるその刹那、彼が何を思っていたのかは解らない。
     けれど、それから間もなくして誠十郎は傷が癒えると共に戦線を去った。今まで目を瞑って知らないふりをして来たはずの現実が、どうしようもなく重たかった。
     果たして何かの犠牲の上に誰かの犠牲の上になった平和は、正しいものであるのだろうか?
     大事なものを捨て去って、失い難いものを置き去りにして、掴んだ未来を手放しで喜んでいいのだろうか?
     結局は自分も『ただのヒト』であったことに、絶望と安堵の入り交じった何とも言えない感情を抱えながらも、息を潜めて生きて行くことを選択した。いろいろな秘密を知り過ぎている誠十郎が引退するに当たって、加護と言う名の監視はついたが、それくらいの不自由は致し方あるまいと甘んじて受け入れた。
     〈パライソ〉はいつしか覇権を取り、〈世界政府〉を樹立した。〈大戦〉は無事に終結し、人類は自らの手で幕引きをする愚かなエンディングを迎えずにすんだことだけが、唯一の救いだった。
     後悔と懺悔と贖罪と。
     残されたのはざらついた苦い想いだけだった。
     だからこそ、
    「お前さんと初めて会った時、一目で解った……ああ、この子は決して表の世界でなんて生きて行けやしないって」
    「…………」
    「だから拾ったのさ。せめて、こっち側では生きて行けるように死なないように……まあ、子育てなんぞしたことがなかったからの。上手くやれる自信はまるでなかったが……わしも死ぬ前に某か遺しておきたい気分になったのさ」
     よもやそれが手にかけた友の血縁であろうとは、ついぞ思いもしなかったが。実に皮肉で、この上なく運命的な巡り合わせである。


    →続く