ーーこんなくたばり方してんじゃねえ……!!
今にも途切れてしまいそうな呼吸に、ずきんずきんと心臓が縮み上がる。それが今まで殆んど覚えたことのない恐怖だと自覚して、閃光はなおさら誠十郎を支える手にぎゅっと力を込めた。
ーー俺はまだ……
けれど、閃光の人外の嗅覚は彼に纏わりつく死の影の臭いを捉えている。何度も嗅いだ吐き気を催すほど胸くそ悪いそれは、漂い始めると獲物を決して逃がすことはない。あの日は焦り故にか混乱故にか、感じることはなかった。けれど今日は、拭いされないほど濃く強い。
経験よりも本能的にそれを知っていながらなお、抗おうとする自分が不思議だった。
「クリフ……医者を、オッさんを呼べ!!」
扉を蹴破らんばかりの勢いで飛び込んだ閃光と、背負われた誠十郎の血の気が失せた青白い顔に、有能な執事はすぐさま反応した。
「若、旦那様を寝室へお願いします。ベッドへ寝かせてください」
「解った」
それからクリフはてきぱきとシャインストーン医師への連絡をすませ、目一杯湯を沸かして処置の支度を整える。誠十郎の喀血で汚れた閃光の服は、そのまま処分された。
「シャワーを浴びなさい。それから念のため、アルコール消毒をしましょう。ヒトからヒトへは感染しないはずですが、若の体質だと万が一もありますから」
「…………ジジイは?」
「大丈夫……心配いりません」
いつものように優しく穏やかな笑みを浮かべるクリフに、閃光はぎゅっと口唇を真一文字にしてこぼしそうになった言葉を飲み込んだ。
大丈夫なものか。
急激に体温の下がった誠十郎の、冷たい身体をここまで閃光が抱えて来たのだ。消えそうな鼓動も弱々しい呼吸も、力を失くした四肢も、これでもかと味わいながら抱えて来たのだ。
何故かは解らない。
けれど、誠十郎は助からない。
本能的な部分で漠然と、閃光はそう理解してしまった。
感染ーーと言うことは、ウイルスか菌かが原因の病気なのだ。どちらにしろ、医者を呼んだところでどうにか出来るものでもないだろう。高齢故の定期検診と銘打って、シャインストーンが頻繁にこの屋敷を訪れていたのも、何も昔話に華を咲かせる晩餐のためだけではあるまい。
ーージジイは……とっくの昔に覚悟を決めてやがったんだろう……
言われるままに熱めのシャワーから上がると、馴染みの助手が待ち構えており、すぐさまアルコール液をぶっかけられるはめになった。彼は全身を防護服で包んでおり、万が一の可能性に対する余念がない。
鼻を突く刺激臭は、人の数倍嗅覚の鋭い閃光に取って苦痛以外の何物でもなかったが、致し方なかった。
マスクを差し出されたが、それは断固として拒否した。ゴツいプロテクター越しに不満極まりないと言いたげな空気を醸し出されたものの、締めつけられるような感覚はどうにも我慢が出来ないのだ。
寝室に向かうと、ちょうどクリフとシャインストーンが部屋を出て来るところだった。
「ジジイは!?」
「喧しい、静かにせんか」
勢い込んで訊ねる閃光に、医師は常から不機嫌そうな顔をますますしかめた。
「入る前にお前の方を確認しないと駄目だ」
正直に言うなら、彼は苦手だ。
シャインストーン個人が、と言うよりは医者と言う職業が、閃光にとっては忌避すべき存在だった。普通ではない己の身体を看た彼らの目は、必ず実験動物を見るような無機質なものに変貌する。何度かかかったこの専属医は違うと解っていても、様々な器具の先を向けられる度に、回れ右をしたくなるのだ。
「若、念のためです」
クリフに背を押されて仕方なく、伸ばされる手を受け入れる。瞳孔の様子や口内の具合、熱や発疹の確認の後、ようやく解放される。
逃げるように寝室に飛び込んだことは、咎められなかった。
→続く
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