「…………」
     ベッドに横たわる誠十郎は、傍らに置かれた機械や点滴から伸びた様々なコードに繋がれていた。頼りなく明滅を繰り返す計測器に、酸素マスク。その青い双眸は依然固く閉ざされたままだ。
     中の空気は澱んでなどいないはずなのに、上手く呼吸が出来ない。
     死の気配は先程より明確な形を取って、誠十郎の枕元に佇んでいるような気がして、閃光は無意識に牙を剥き、威嚇の唸り声をこぼした。
    ーーこっちに来るな……!
     何故、今なのだ。
     ようやく彼と歩み寄れて、これからもっといろいろなことを教えてもらいながら、新たな関係を築いていけると思っていたのに。
     初めて手にした穏やかな『普通の』時間は、これからも揺らぎなく続いていくものだと思っていたのに。
     何故、今なのだ。
    ーー俺は……まだジジイに返事してねえんだぞ……!!
     ぎゅっと両の拳を握り締めて、込み上げて来た言葉にはならない感情を飲み込む。
     この世界はとんでもなく理不尽だ。
     そんなことは当の昔に承知していたはずなのに。今さらのように、それを怨めしく思った。
    「…………いつからだ」
     シャインストーン医師を見送りに出ていたクリフの戻った気配に、閃光は苦虫を噛み潰すような声音で問うた。
     さすがに彼にも疲れの色が見える。ついぞ休んでいるところなど見たこともないが、何せ誠十郎と大して歳は変わらない老齢なのだ。精神的にも重いものが張りついているに違いない。
     それでも問えるのは、長く傍らにあった彼以外にいなかった。
    「ジジイはいつから病気だった」
    「…………先の戦で負ったものだそうです。本当なら、若を拾って来られた時には……保って3ヶ月だろうと、言われておりました」
     閃光がじっと見下ろす視線の先、ちょうど心臓の真上にあたる誠十郎の胸には、小さな斑点が幾つか刻まれている。けれど打ち身や内出血した痕ではないその蒼を、閃光は彼に就いて学ぶ中で近代兵器図録に見たのを忘れてはいない。
     禁じ手とされた殺戮兵器ーー無害なはずの体内細菌の遺伝子を強制的に書き換え、主をじわじわと侵食し、やがて死に至らしめる〈魔法術〉を宿した銃剣が数種類あった。各国のそうした開発成果を潰して回る役目を負っていたならば、誠十郎が自分でも知らない内に、その一つに冒されていても不思議ではない。
     本来なら、術式の分解を行えばそこまで進行することはなかったのだろうが、いかんせん兵器関連の資料は〈文化改革〉で真っ先に処分されてしまって、今さら手の施しようもなかったのだろう。
     現に先程シャインストーンが置いていったアンプルは、ただの鎮痛剤だった。気休めにもなりはしない。
    「それでも、旦那様はそこから三年……嘘のように元気に過ごされた。若のお陰です」
    「…………俺は、何もしていない」
    「いいえ……若が来られたお陰で、旦那様はそれはそれは毎日が楽しそうでした。絶対にヒトの中に戻してやるのだ、と……子育てなどなさったこともないのに、あれやこれや揃えられて」
    「…………それだけ、悔いてたんだろ。俺の大叔父を助けられなかったのを」
     あの地獄の中で唯一無二の友であった、と言った誠十郎は、思えば仕事柄立場上真に誰かに心を許せなかったーー寂しい男であったのかもしれない。自分には同じ道を歩ませまいと、その想いが彼を突き動かしていたのだろうか?
    「それはそれ、ですよ。先日仰っていました……奪ってばかりだった人生の中で、たった一つ素晴らしいものを残せた、と」
    「…………」
    「ですから、若……どうか生きてください。ヒトとして、生きてください。ただそれだけで貴方は孝行なんです」
     その時、小さく呻き声を上げて、誠十郎がゆっくりと双眸を開いた。が、その青い瞳はもうろくに焦点が合っていない。
    「閃光……そこにいるのか」
     しんどそうに持ち上げられた手は、震えながら宙を掻いている。それを握って自分の頬に宛てながら、閃光は短く答えた。
    「ここにいる」


    →続く